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世界を虜にした日本一の万年筆「蒔絵万年筆物語」
※写真、文等はタウン誌深川より引用



その世界をあっ!と言わせたエピソードとは?
最初に純国産万年筆物語を読んで頂けるともっと楽しんでいただけます。

並木良輔氏
現株式会社パイロット設立者
常務取締役時の写真

和田正雄氏
現株式会社パイロット設立者
代表取締役専務時の写真

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〜海外視察でのパフォーマンス〜
大正14年、並木と和田は蒔絵万年筆を海外輸出する為に、10ヶ月の海外視察に出かけている。最初に訪れたアメリカでの事。現地の日本人会の会長を通して大手百貨店を訪問した。だが先方は万年筆を買い付けに来たのだと勘違いし、自分達の万年筆を行き成り床に叩きつけ、その頑丈さをアピールした。「買い付けに来たのではない」事を告げると、その場で商談は打ち切られてしまった・・・。
重苦しい空気が漂う中、和田は「並木君ちょっと待っていてくれ」とだけ言い残し、化学薬品売り場から塩酸を持ち出して来た。和田は先ほどの床に叩きつけられた万年筆と、持参したラッカナイト材(軸に少量のカーボンブラックを練りこんで漆(うるし)塗った物)の国産万年筆をずぶりと塩酸につけたのだ!違いは一目瞭然だった。先方の万年筆はあっという間に赤くただれていったが、持参した国産万年筆の軸は平然としていた。あっけに取られている商談相手に和田はすかさず「日本漆塗料について」と題した説明書を渡した。周囲の興奮おさまらぬうちに、今度は美しい「蒔絵万年筆」披露した。状況は一転、一行は並々ならぬ歓迎を受けた。パフォーマンスにはパフォーマンスで。和田の剛胆で繊細な、商才が垣間見られる1コマだ。

〜ダンヒル・ナミキ〜
当時イギリスは、七つの海を支配する大帝国であり、そのなかでもアルフレッド・ダンヒル社は、世界の高級品だけを扱う格調の高い会社として特に有名であった。パイロットがダンヒル社とはじめて接触しのは昭和2年、ロンドン支店長に赴任したばかりの弱冠26歳「和田節治」が取引の交渉に勇んで出かけた、自信と誇りをもって蒔絵万年筆を相手にさしだし、製品に対して最後まで責任をもつパイロットの経営方針を堂々と熱っぽく説明した。ダンヒル社の担当者は製品の美しさに目をみはりながら、和田の熱意にうたれ、「ひとつ代理店をひき受け、徹底的に売ってみよう!」と快く承諾してくれ、話はトントン拍子ですすんだのである。その後世界各国の大都市で大々的に売り出されその美しさと技術で世界中をあっ!と言わせた。その時売り出された名前が「ダンヒル・ナミキ万年筆」ナミキとはパイロット創始者「並木良輔」の名前を取ったもの。ダンヒル社が「ナミキ」の名をその万年筆に冠したのは異例の待遇だった。今でも海外のパイロットの高級筆記具はNAMIKIの名前で愛されています。

〜世界の蒔絵万年筆〜
1930年 昭和5年4月、ロンドンで開かれた海軍軍縮条約調印式で、蒔絵万年筆が署名に使われた。そのときの事を当時の東京朝日新聞は「我全権は国産のペンで署名」と大きく報じている。この大舞台で使用された事で、蒔絵万年筆の名声は世界中に広まって行ったという。その後1972年の日中国交回復でも蒔絵万年筆が調印式で使用されている。

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